黙祷

黙祷・・・・

亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

あれから、3年

あっという間の3年?
あの日から時間が止まっている人もいるだろう

らむ母にとっての3年はたぶんあっという間の3年でもあり、
どこかあの日の出来事が、遠い昔のことのような気がする時もあるし、
現在進行形と思うときもあるし、複雑な気持ちです。
胸の奥になにか重たい固まりがあるような・・・

何となく生きていたのが、残りの人生大事にしてすごそうと思うようになった。


復興、復旧といっても、その地域地域、人それぞれに事情も違うから、
難しい問題もあるけど、少しずつ前に時には足踏みしながら進んでいくしかないですね。

まだ、家族のもとに帰れない方々が、少しでも早く帰れますように祈るばかりです。

3年前の話、いまさらブログに載せることでもないかもしれないけど
またらむ母の身に起こったことは
実際に津波の被害にあわれた方々からみたら、また、災害でもっと大変な経験をした方々に比べたら
たいしたことじゃないけど、
でも、自分史として簡単に記録しておこう。(すごい自分中心の文です)


あの当時らむ家は太平洋沿いのS市の海(入り江)の近くの高台にある
住宅団地内の一軒家に住んでいた。(一番近い海まで歩いて5分ぐらい)


あの日頭痛がひどくてぼ~うっとテレビを見ていたらむ母
14時46分頃、どーんと凄まじい地鳴りとともにすごい揺れがきた。

ただごとではないと、なぜか携帯握りしめ「らむ!、天!」と叫び、
靴下のまま庭にでて、真ん中辺で、一頭ずつ両脇に抱えてしゃがんでいた。

あちこちで瓦の落ちる音が凄まじかった。
らむ家は瓦でなかったので落ちてくる心配はなかった。

らむも天もしっぽを丸めて、がたがたと震えていた。
「大丈夫、大丈夫」と二頭に声をかけながら、庭に避難していた隣の奥さんとも「大丈夫ですか」と
声をかけ合いながら、波状攻撃的に襲ってくると大きな地震が収まるのを待った。

10分ぐらいたった頃少し揺れが弱くなったところで家に中に駆け込み、
全財産が入っているバックをつかみ二頭と玄関から外へ、
家の前のひらけた場所のある道路に出て、近所の方々と10人ぐらいで地震が収まるのを待った

らむ父に「私たちは大丈夫」とメールするのに何回も打ち直して、5分ぐらいかかった。
自分では落ちついていたつもりでもすごい緊張状態だったのだ。
10分ぐらいして大丈夫のメールがきて安心した。


揺れない時間はないぐらい振れ続けていた。
晴れていた空がいつの間にか曇り、雷がどーんごろごろと1回大きく響いた。
そして雪がちらちらとほんの2,3分降った。
そしてまた晴れてきた。
何だったんだろう・・・

40分ぐらいたった頃、少し揺れが弱くなったので、解散し
家にはいると揺れたわりには大きな被害はなく棚の上の物が落ちていたり、
食器が何枚か落ちて割れているぐらいだった。
家具も少し移動はしていたけど、倒れていないし。
電気、ガス、水も大丈夫だった。

S市はあの地震で建物が全壊や、倒壊するような被害はそんなに多くはなかったが、それでも半壊の家は結構あった。

割れた皿など片付けて、時々大きな揺れを感じながらも、
のんきに散歩に少し出て、団地内のスーパーで2Lの水を3本買い、
帰ると断水していた。(断水は3日後には解消した)
電気、ガスは大丈夫だった。

S市にも大津波警報が出ていたが、いまいちぴんとこない。

S市の沿岸部は津波で大きな被害をうけていた。

らむ母がのんきに散歩している頃らむ父は目の前で、職場が津波にのみこまれるのを、
逃げた高台からなすすべもなく見ていた。
らむ父の職場の目の前は海

後日話を聞くと、逃げるのがもう少し遅かったら津波にのみこまれていたかもと・・・
職員全員無事でよかった。

一応、避難の準備をと、車に着替えや水、犬のえさ、毛布など積んだ
17時頃、団地にも津波が来るので逃げろとパトカーと消防団がサイレンならしながら走っていった。
らむ母、急に怖くなり心臓がばくばくし、逃げなくては思ったが、逃げるには高台にある団地を下りなくてはいけない。
どの道も海方向にもつながっている。
でもパトカーが来た道はまだ安全そうと思い
2頭を乗せ、もっと内陸にある海から離れたスーパーの駐車場に避難した。
そこに避難している人々が沢山いた。

車の中でどきどきしながら、過ごしていると、
19時ぐらいにらむ父から「家にたどり着いたよ~無事だから戻っておいで」と
電話があったので帰る。
らむ家が住んでいた住宅地は津波の被害はなかった。

らむ父、どこが道路かわからなくて、流された家の土台の上を歩いて、帰ってきたらしい。
 
夜、こたつで寝た。
一晩中余震が続いた。
らむ父は極度の緊張感から解放されたのだろうか、死んだように寝ていた。

らむ母は緊張していたのだろう、眠れず、1時間おきぐらいにトイレに行った。

夜中、白鳥が「大変なことが起きたわよ。早く北に帰るわよ」と話しているみたいに、
大騒ぎして鳴きながら飛んでいった。

次の日の朝二人と二頭で散歩をかねて団地を下ってみた。
団地の下の海側の道路まで津波はきていた。
昨日らむ母が散歩に歩いた所にも。

そして目の前のあまりの惨状に言葉をなくし、号泣した。
異常に静かに感じた。
実際は救急車や車が走り、ヘリが飛んで騒然としていたのに・・・

警察官や自衛隊の人達が泥に棒をさして人が埋まっていないか
探していた。

自然が、すべての生き物たちが息を潜めているみたいだった。

らむ地方その後原発事故も起こり、らむ母はずっと緊張していた。

2頭はどこに行くにも一緒だった。
2頭だけにするのがすごい不安で

その2頭 らむ母だけ家にいるときは、トイレまでついてきた。
トイレのドアの前でキュンキュンと鳴き、ドアを前足でがしがしとひっかくので
10cmぐらいドアを開けて、らむ母用をたすのですけど、
「何してるの~おいていかないで~」みたいな
つぶらな4個の瞳で見つめられると、出る物もでないんですけど~

お風呂場にもついてきた。
2頭の前ですっぽんぽんになるのはちょっと恥ずかしかったな

とにかく2頭ともすごいひっつき虫だった。
そんなことが2月ぐらい続いたかな
怖い思いしたし、不安だったんだね。

S市は津波の被害にあった海沿い以外はライフラインの被害も少なく、お店等々は営業していた。
が、事故の影響で物資が入ってこない。
それでも、えり好みしなければ、食べ物の不自由はしなかった。


震災直後から、自衛隊等々のヘリがひっきりなしに飛んでいた。

いまでも、あのときの地鳴りに似た音、またはヘリコプターの音を聞くと
心臓がどきどきしてくる。(弱虫らむ母です)

もっともっと色々あったけどそれは別な機会にして


あの年の桜はかすんで見えたな

震災前はよく遊びに行った海岸、 地盤沈下で無くなっちゃった
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こんな夕日を見ながら、海岸での散歩から帰ったね。
ここも津波の被害を受けて壊滅状態だったけど、
復興してまた、こんな風に海苔棚が復活する日を待ってますよ。

そして、支援していただいた日本国中の皆様、心強かったです。
ありがとうございました。
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アイリッシュセター天と野風と、のほほんと暮らしています。時々らむの事を思い出しながら・・

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